SUPER BEAVER界隈でちょっとざわついた話
最近、ちょっとだけSUPER BEAVER界隈がざわついた出来事がありました。
ぶーやんとやなぎが、とある人と金沢でご飯を食べたと、その方が写真付きで投稿していたんです。
それを見て、ファンの間では
「なんでその人と?」
「大丈夫なの?」
「利用されたりしないかな?」
そんな声もあって、少しざわざわしていました。
正直、私も最初は「え?」って思いました。
ぶーやんのエッセイを思い出した
でもそのあと、ふとぶーやんがエッセイに書いていた言葉を思い出したんです。
人は自分のことは多面体だとわかっているのに、他人のことは見えている一面だけで判断してしまう。
知らない面が出てきたとき、「え、そんな一面があったの?」と驚いてしまう。
そんなような内容でした。
今回、私が「えっ」と驚いたのも、まさにこれだったのかもしれません。
サイコロの話
私たちが見ているぶーやんは、エッセーにもあるような、きっと「6の面」。
(まあ1でも2でも感じ方は人それぞれですが)
サイコロって、6つの面があるじゃないですか。
でも普通に置いてあると、見えるのは上の面だけ。
裏に何の目があるかは、ひっくり返してみないとわからない。
ステージの上での姿や、言葉や、音楽や、私たちに見せてくれている一面です。
でも本当は、1から5の面もあって、それも全部、その人なんですよね。
下積み時代の縁も、ぶーやんの一部
ビーバーは下積み時代も長くて、今に至るまで、たくさんの人と関わってきたはず。
もしかしたら、表には見えないような人に助けてもらった過去もあるのかもしれない。
そういう繋がりも含めて今の彼らがあるなら、
それもひとつの「ぶーやん」や「やなぎ」なんだと思いました。
これって推しだけじゃなくて
そしてこれって、推しに限った話じゃなくて、普段の人間関係や世の中の見方でも同じだなって思ったんです。
私たちはつい、テレビやニュースの報道を見て「あの人はこういう人」と決めつけてしまうことがあります。
でも、報道されているのはその人のほんの一部、切り取られた一面でしかないのかもしれない。
モヤっとしてしまったそのお相手のことだって、私は「一面」しか知らなかったんだな、と。
自分のことを考えてみても、日によって気分も違うし、人によって見せている顔も違う。
それを自分では理解しているのに、
他人に対してだけ「出目が一つしかない」と思い込んでしまうのは、ちょっと不思議ですよね。
一面だけでその人のすべてを決めつけないこと
全部を好きになる必要はないと思います。
「この一面はちょっと苦手だな」って思うのも正直な気持ちだし、それでいい。
…ちなみに。職場の嫌いなあの人。私には極悪非道でも、きっと家族には違う一面があるんでしょうよ。
でも、そこまで慈悲深くはなれない(笑)
まあ、それも正直な話。
でも、ぶーやんはエッセイの最後でこんなようなことを書いていました。
自分のことですら知らない面があるんだから、他人のことを全部わかるなんてできるはずがない。
だからこそ、目の前の人に対してなるべく大らかに、慈悲深くありたい。
一面だけでその人のすべてを決めつけないこと。 知らない部分がある前提で人を見ること。
それだけで、人との距離って、少し優しくなる気がします。
今回の出来事で、私は「6の面しか見ていなかったかもしれない」と気づくことができました。
1から5の面もある一人の人間として、これからも彼らを見ていきたい。
そして私自身も、目の前の人に対してもう少し「慈悲深く」ありたいなと思っています。
人に見せている自分が、全部100%の自分じゃないのと同じように。

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