「わたしはわたしでいい」と思えるようになるまで

誰かにならなきゃと焦っていた頃のこと。

そこから少しずつ、自分を許せるようになるまでの気づきを綴りました。

同じように「自分を責めてしまう」と感じている方に、

少しでも心が軽くなるきっかけになったら嬉しいです。

目次

昔のわたしは「何者かにならなきゃ」と思っていた

こんにちは、こつこつ暮らしのminaです。


昔のわたしは、ずっと「何者かにならなきゃ」って思っていました。

今の自分のままじゃダメで、特別な誰かにならないと生きている意味がないような気がして…。

だから、夢中で勉強したり、お金をかけて資格を取ろうとしたりもして。

何かを手に入れれば、自信が生まれて、自分を好きになれると思っていたんです。


けれど、いつの間にか息が詰まってしまっていて、

がんばっているのに、思うように変われない。

そんな自分がまた嫌になって、

もっと努力しなきゃ」と自分を追い込んでいました

そして今、少しずつ「わたしのままでいい」と思えるように

そして今、

「わたしはわたしのままでいいのかもしれない」と思えるようになってきました。

まだ完全にそう思えるわけじゃないけれど、

少しずつ、“誰かになろうとしない自分”に、やっと優しくなれてきた気がするんです。

人と比べることをやめられた日

人と比べなくなったのは、ある日ふとした瞬間。

SNSを見て、誰かの華やかな生活に胸がざわついたとき、

キキが足元で丸くなって眠っていた。

ジャックは、わたしの顔を見て「遊ぼう」と尻尾を振っていた。

そのとき、「この子たちには、わたしが“何者か”である必要なんてないんだな」と思ったんです。

成功していようが、落ち込んでいようが、

キキもジャックも、ただ“わたし”を見てくれている。

あぁ、人と比べて苦しくなっていたのは、

自分で自分を遠ざけていたからなんだ――。

そう気づいたとき、少しだけ肩の力が抜けました。


ここから少し過去の話。心屋塾のマスターコースでの学び

数年前、

“何者か”になりたくて、わたしは心屋塾のマスターコースを受けました。

「自分を変えたい」「もっと人の役に立てるようになりたい」――

そんな思いで、

「資格を取ったら自信が持てて、この生きづらさから抜け出せるんじゃないか」

そう思っていたんですよね。


学んだことは、もちろんたくさんありました。

自分を責める癖、他人と比べてしまう癖、

“できない自分”を許せない心の仕組み。

それを知るたびに、「あぁ、わたしはずっと頑張ってたんだな」って気づきました。

でも、学びを終えても、“何者か”にはなれませんでした。

むしろ、「何者かにならなきゃ」という気持ちそのものが、

自分を苦しめていたんです。

得体のしれない不安が、いつも心のどこかにありました。


実際に心屋のマスターコースに払った金額は40万円超。

当時のわたしには大きな金額だったけど(今もです)

“何者かになれるなら安いものだ”と思っていました。

でも、終わってみたら現実は変わらなかった。

それどころか、心のどこかにぽっかり穴があいていました。

「まだ足りない」「もっと学ばなきゃ」――心の不安は消えませんでした。

たった数ヶ月、十数回の講座を受けただけで、

そんなすごい人になれるわけがないですよね(笑)


今なら、わかります。

あの頃の自分を思い出すと、ちょっと恥ずかしい。

「お金を出して勉強したら人生が変わる」って、本気で信じていました。

でもね、あのマスターコースに行ったことで、

今でも繋がっている大切な友達ができました。

お互いの弱さも見せ合える仲間。

あの時期がなかったら、きっと出会えなかった人たち。

だから、全部が無駄だったわけじゃないと思っています。

キキとジャックが教えてくれた“ありのままの幸せ”

そして現在。

家に帰れば、キキとジャックが待っていて、

わたしがどんな気持ちの日でも、

2匹は変わらずに寄り添ってくれています。

キキは、わたしの足もとで小さく丸くなって眠り、

ジャックは、嬉しそうにおもちゃをくわえて走り回る。

その姿を見ているだけで、胸の奥がふっとゆるんでいくんですよね。


この子たちは、わたしが“何者か”じゃなくてもいいらしい。

特別な人間じゃなくても、

今日をちゃんと生きていれば、それでいいんだよ――。

そう教えてくれている気がします。

「このままのわたしでいいのかな」

そんなふうに思えるようになったのは、

キキとジャックのおかげかもしれません。

家にいて、なんでもない時に、

ふと「あぁ、しあわせだな」って思える

そんな瞬間があることが、

きっといちばんの幸せなんだと思います。


“何者か”になるより、“わたし”として生きる

今でもときどき、

「もっとできるようになりたい」とか、

人と比べて「もう少し頑張らなきゃ」って思うことはあります。

でも、もうそれを責めることはしません。

どんな自分も、ちゃんと生きていて、笑ったり、落ち込んだり、

キキやジャックと過ごして、また笑ったり。


“何者かになる”よりも

“わたしとして生きる”ことのほうが、ずっと大切で。

特別じゃなくてもいい。

今日もちゃんとごはんを食べて、

誰かに優しくできたら、それで十分だと思っています。


誰かみたいにならなくても、何者かにならなくても、

あなたはもう、ちゃんと素敵です。

そのままのあなたで、今日を生きていけば大丈夫。

焦らなくて大丈夫。あなたのペースで、ゆっくりと。


※本文中のイラストは、Google AI「ナノバナナ」スタイルで生成した画像を使用しています。
やさしい世界観を大切にするため、一部デザインを調整しています。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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